笹川家紹介

めぞんど・ど・ささがわの住人構成

YOKO(白馬産)

なんちゃって2代目オーナー
アメリカ・コロラド州で4年半の留学(遊学?)経験あり
4児の母もしている

YOKO(白馬産)

HIROJI(福井産)

HIROJI(福井産)

元自衛隊空挺隊員
スキーやりたさに八方尾根スキースクールに身をゆだね
スキー武者修行の道へ
長野オリンピックネット班長を経験したのち、現在八方尾根のゲレンデ
を整備する圧雪車のオペレーター(運ちゃん)に転身、いまだにへたくそな白馬弁をしゃべる
4児の父

TAKUYA(白馬産)

長男
地元高校のアルペンスキー部に所属

TAKUYA(白馬産)

EMIKO(白馬産)

EMIKO(白馬産)

長女
現在地元の高校に在学中

SHINGO(白馬産)

次男
地元中学のアルペンスキー部に所属

SHINGO(白馬産)

YUTA(白馬産)

YUTA(白馬産)

三男(白馬保育園たんぽぽ組)
最年少 5才
現在、この宿でもっとも進化をとげている強者 最近は普通の日本語に加えあまり普通ではない日本語を使う・・・。

MASAMICHI(妙高産)

元祖めぞん・ど・ささがわ 最長老
その昔、アルペンスキー選手―ナショナルチームコーチ―
札幌オリンピック役員―
スキー場デザイン・開発
3女の父  4児のじじ

MASAMITI(妙高産)

JYUNKO(白馬産)

JUNKO(白馬産)

三姉妹のうちの一人
元クロスカントリースキーの選手
占い“ルーン”を修得
犬ねこ大好き
ベビーシッター、ペットシッター資格所有
夏はガーデナー(庭仕事というなの肉体労働)最近は建物解体まで請け負うらしいが

YUKKO(白馬産)

三姉妹のうちの一人
八方尾根スキースクールに現在も所属
アロマテラピー、レイキ、マッサージとボディーケア全般
テレマークスキー世界選手権出場経験あり

YUKKO(白馬産)

笹川家ヒストリー~白馬・八方尾根とともに~

1959年

1959年(昭和33年)
東急電鉄の資本によって、白馬ケーブルが架けられる。
東急電鉄勤務していた正通、二代目スキーパトロール隊長を命ぜられる。

1968年


笹川邸完成
当時正通母校の明治大学スキー部の合宿を世話をする。
正通、常陸宮殿下・華子妃殿下のスキー指導をする。以来現在も。

1972年


正通、札幌オリンピック 日本選手団アルペンスキーコーチとして参加。
NHKのスキー競技の解説を務める。

1973年


増築
スキーブーム
老若男女ポールを楽しむ。
今はなき“めぞん・ど・ささがわカップ” 近年ささがわカップが復活の兆し

1979年


改築
現在のめぞん・ど・ささがわの姿になる。

1980年


正通、10年間長野市へ単身赴任。
飯綱リゾートスキー場の設計・開発、支配人を任される。

1981年

56豪雪(昭和56年)
ささがわの玄関は積雪のため開かない。 
小学校への登校は2階の客室窓から。
食料買い出しはそりでした

四季折々 みんなそれぞれ

1990年

5月 
ママ心不全のため永眠
三姉妹それぞれ力を合わせて宿を切り盛り。

1998年


1998年長野オリンピック
日経新聞運動部、スキーのミヤコスポーツ、フランス、アメリカからのお客様を迎える。

2001年


新しい家族

2003年

 12月 めぞん・ど・ささがわを廃業

2007年

12月 
素泊まり・自炊ができる宿として再開業~
この間、めぞんどささがわに3人のひよこたちが誕生。

~賑やかになる
海外から多くの長期滞在のお客様を迎えるようになる。

2009年

2009年
さらに1人ひよこが増え、賑やかさパワーアップ。

2010年


白馬バンブークリークログコテージ、みそら野エリアにOPEN!
めぞん・ど・ささがわには長期滞在者・自炊のゲスト用共同キッチンを増設・屋外にテラス完成。

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